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短編集 (万+一)葉集

おもに秘密結社?「α-music」で発表した「語り」の為の短編台本集です。

スフィンクス

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スフィンクス   
2014 1月11日


 みなさんはスフィンクスをご存じですね。
 ライオンの身体、美しい女性の顔、乳房、鷲の翼を持つ、神の使いまたは怪物、というものです。
 近年ではこの名前の付いた毛のまったく生えていない猫も居ますが、これはまた別の話。
 エジプト・ギザの大スフィンクス像は有名で観光用パンフレットなどでもよく見掛けます。ただし、古代エジプトで、スフィンクスを何と呼んでいたのかは分からないそうです。
 スフィンクスギリシア語の呼び方ですが、同じような怪物は古代エジプト文明、古代ギリシア文明、またメソポタミア文明にも登場します。古代では、現代のカラスと同じくらいスフィンクスが街を飛び回っていたという事でしょうか。
 古代エジプトスフィンクスには男性名詞もあったようです。これに対して古代ギリシアではスフィンクスは女性名詞。男性のスフィンクスは存在しません。
 これからお話するのは、男性の存在しないそのギリシァのスフィンクスの物語です。

 スフィンクスは待っていた。テーバイへ通じる森の入り口で。
 ビーキオン山頂のオベリスクのような細い四角錐の岩に腰掛け、翼と尻尾と両耳をぴんと立て、青い空と黄色い草原の境、つまり地平線を睨んでいた。
 オベリスクのような四角錐の岩をスフィンクスは気に入っていた。まるでわたしの為に誂えた台座のよう。
 眼下の草原は枯れたような色の葦の間に大きな岩がごつごつ転がり、人間の通れる道は細い小道が一本あるだけだ。
 小道はくねくねと曲がり岩を迂回しながらつづら折りになってビーキオン山頂の直ぐ下にやってくる。
 ここを過ぎれば下りになり、やがて森に入る。森の向こうにはテーバイという街があるそうだ。

 いつからだろう、
 何年、何十年、何百年、或いは何千年も、こうして座り続けスフィンクスは待っている。

 スフィンクスは人間の女の顔と胸、ライオンの身体、鷲の翼を持っていた。異形である。
 最高位の女神=ヘラに命じられここに遣わされた。九人の美しい女神=ミューザたちがスフィンクスにあの有名な謎を教えた。
 その謎とは、
「一つの声をもち、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足。その生き物は何か」
 と、いうものである。
 通りかかった旅人にこの謎を仕掛け、解けなければ殺して食べる。

 旅人を殺すことも、その肉を食らうことも、スフィンクスにとって、当たり前の事。罪悪感を持ったことなどない。
 それは私の使命、神々から与えられた仕事。
 しかし、その使命がどんな意味を持つかなど、スフィンクス自身には知りようもない。また、知ろうとも思わなかった。

 何百年だか何千年だか以前、ビーキオン山にやってきたばかりの頃は、旅人が大勢通った。馬や驢馬や牛も通った。たまに女達も居たが、多くは兵士や商いをする男たちだった。
 謎を解ける者などひとりも居なかった。
 だからスフィンクスは次々と殺して食べた。
 
 ビーキオン山のまがまがしい怪物の噂はやがて国中に広まった。
 誰だってわざわざ「取って喰われたい」と思う者は居ない。みなこの道を避けて遠回りした。
 おかげでテーバイには商人も訪れず、街は寂れた。
 スフィンクスはテーバイの街荒廃のシンボルとされた。
 
 何年も、何十年も、何百年も、旅人は通らなかった。
 スフィンクスは前脚を揃え肘から下を地面に付け、胸と首筋を反らせ、青い空と黄色い草原の境を睨み付ける。有名なエジプト、ギザのスフィンクスと同じ姿勢である。
 いつからこうして待っているのか、誰に命じられてここにやってきたのか、もう分からない。スフィンクスは石になってしまったように、動かなかった。
 そもそも私は何者なのだろう。なぜここにこうしてじっと待って居なくてはならないのか。いったい何を待っているのか。
 いいえ、私は神に遣わされた者。ここに座って見張っているのが役目。このことに何の意味があるのか知らぬ。でも、そうしなくてはならないのだ。
 「石像のように」動かないで居ると、自分の身体が本当の石になってしまったように感じられる。たてがみをそよがせる風の感触も、陽のぬくもりも、夜の冷たささえ、今は感じられぬ。

 スフィンクスの尖った三角の耳がピピッと動いて止まった。見た。日の出前の薄明の地平線にポツンと黒い点があった。
 ああ、何年、何十年、いや何百年ぶりだろう。
 スフィンクスは細い四角錐の岩の上で前脚を立て、座り直した、伸び上がった。
 水色の眼球の真ん中の三日月のような瞳が、たちまち膨らんで黒曜石のように光った。
 全身にどくどくと血が巡り出す。わたしは石の彫刻ではなかった。

 いままでは石のようだった。血など、通(かよ)っていないようだった。 生きているのか死んでいるのか、分からないくらいただ、じっと待っていた。動かなかった。
 時間など流れていないのと同じだった。

 スフィンクスの眼は鋭い。視野も広い。地平線よりこちらの物であればどんな小さな変化も見分けることが出来る。
 近づいてくるのは、若い男だった。二輪の小さな戦車を白い馬に引かせている。
 美しい男だ。白布を腰に巻いているが、上半身はほとんど裸だった。
 金色の巻き毛と分厚い胸、顔にはまだあどけなささえ残っている。
 
 血が沸き立ちスフィンクスの水色の眼球の黒い瞳が新月のように細くなった。
 そうだ。私だって女のはず。白い肌も丸い乳房も持っている。
 ならば、恋をし、結ばれ、子を産むことだって出来るはずだ。
 小さな翼を生やし三角の耳を持った子猫のような子供達が自分の周りを走り回っていたら、どんなに可愛いだろう。その子たちを抱き締めることが出来たならどんなに暖かいだろう。どんなに好い匂いだろう。

 けれど異形の私は一体誰に恋すれば良いのか。顔は人間、身体はライオン。鷲の翼さえ生えている。
 だからといってライオンにも鷲にも心ときめかすことなどなかった。
 この世には私と同じ姿をした男が居るのだろうか。それとも私はこの世でただ一個の、いえ一頭の、一羽の、いいやただ一人の、唯一孤独な存在なのか。
 もしそうであったなら、背中に小さな翼の生えた三角耳のこどもたちなど、望みようもない。

 思考と言えば良いのか思念なのか、頭の中が渦巻いて回転する。
 同時に凄まじい食欲が襲ってきた。なにしろ何百年もなにも食べていないのだ。忘れていた食欲が人影に刺激され、むくむくと沸き上がる。旅人はスフィンクスの食料だ。
 はやく来い。はやく。
 はやく謎を仕掛よう。さっさと食べてしまいたい。

 恋情と食欲の綯い混ざった嵐のような感情に狂わんばかりのスフィンクスにはお構いなく、若者はゆっくりとゆっくりとしか近づいて来ない。スフィンクスは身もだえた。
 太陽はとっくに若者の上を通り越し、今はビーキオン山の背後に回っている。
 息をシュウシュウ吐き出し、岩壁に爪を立ててガリガリ引っ掻く。 どうしてそんなことをするのか自分でも分からないまま裏返って背中を岩肌に擦りつけ、ワオーッグルグルグルと叫ぶ。
 はしたない。私は異形だが、獣ではない。その私がこんなに荒れ狂うなんて。

 若者はようやくビーキオン山の影が落ちる辺りまでやってきた。スフィンクスを載せた山頂の針のように細い岩の影が、若者と馬に重なった。若者がちらりとこちらを見上げた。
 あの者は謎を解くことが出来るだろうか。解けないなら殺して食べるほかない。
 食べたなら、若者の肉は私の身体になる。それは、うれしい。けれど、食べてしまったら、美しい横顔も金色の巻き毛も、二度と見ることが出来なくなる。
 いままで私の謎を解いた旅人は居なかった。この若者も解くことは出来ないだろう。
 なんとか食べずに許してやりたいが、なんと食欲をそそる横顔だろう。
 食らうべきか生かすべきか、それが問題だわ。

 よう、べっぴんさん、今日も好い天気だねぇ
 気が付けば若者はスフィンクスの足下に来ていた。つまりビーキオン山山頂のオベリスクのような岩の下に立ってスフィンクスを見上げていた。道が険しいからだろう、戦車から降りて馬を引いている。異形のスフィンクスを見ても、恐れている様子はない。

「べっぴんさん」と呼びかけられてスフィンクスは白い顔を赤らめた。 顔を赤くしたまま威厳を糺して告げた。
「名を名乗りなさい」
「あ、おれ? おれの名はオイディプス『腫れた足』さ。ヘンな名前だろ?」
「どこへ行く?」
「テーバイへ」
「私はスフィンクス。神に遣わされた者、この草原の番人。ここを通るには謎を解いて貰わねばならぬ」
「そうかい。それが決まりなら仕方ねぇや。金取られるよりはマシかも」
「ではオイディプス、答えなさい。一つの声をもち、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足。その生き物は何か」
「それはアレだな。朝飯に羊か牛を食べ、昼はニワトリ、夜にはえっとぉオットセイを食べたって話かな。四つ足と二本足はふつうに居るけど三本足の生き物はオットセイかアシカくらいだろ」
 
 「正解!」と、スフィンクスは思わずと叫びそうになった。全身の毛が逆立って息が荒くなる。
「朝と昼と夜に何を食べたかという話ではない。ひとつの生き物なのに朝は四つ足、昼は二本足、夜には三本足と問うているのだ」
「ひとつの生き物かぁ。そりゃ蛸だな。八本足の蛸が腹減って夜中に自分の足を四本食ってしまい朝には四本足になった。昼までにまた二本食べて二本足。でも、夜には足が一本生え戻ってきて三本になった。違うかい?」

 スフィンクスの水色の眼から涙の粒が落ちた。
 なんだこの若者は、でも、これは謎の答えではない。ミューザから教わった答えは「人間」である。朝、すなわち幼時には這い這いをし、昼、長じて二本足で歩き、夜つまり晩年には杖を突いて三本足、というものだ。

 スフィンクスは混乱した。おまけにオイディプスが食べ物の話ばかりするので、矢も楯もたまらなくなった。フウッーとうなると尻を上げ尻尾を振り立てて攻撃の姿勢を取った。
「オイディプス、私はお前を手に掛けて食べてしまうよ。それが定め。謎を解けなかったお前がいけないのだ。恨まないでおくれ」
 鷲の翼を拡げ、細く高い塔のような岩からふわりとスフィンクスは舞い降りた。以前だったら、ハヤブサのように翼を畳んで一直線に急降下していたところだろう。

 若者の幅広い両肩に降り立ち、金色の巻き毛の下の長い首に食らいつこうとした。オイディプスはスフィンクスの眼をまっすぐに見た。やや緑ががった灰色の優しく深い眼だった。
 翼を拡げたままスフィンクスは若者にのし掛かっていた。彼の眼がスフィンクスの眼のすぐ間近にあった。眼は穏やかに澄み切っている。
「答えをおれは知っているよ、『人間』だろう?。答えてしまってはあんたを殺さなければならないから、わざととぼけたのさ」
 踏ん張っている前脚からオイディプスの裸の肩の温もりが伝わってきた。肌に食い込ませていた爪の力を思わず緩めた。同時に身体全体から力が抜けていく。

「だいたい、この謎はアンフェアだ。謎を作った神様にしか答えがわからないようになっている。傲慢だ。
 神々は、解きようのない問題や訳の分からない神託を一方的に作り出す。まして、あんたにその謎を吹き込んだのは気紛れでわがままな女神ミューザたちだろう? 手が着けられない。面白半分に勝手な決まりごとを作って罪もない人間に押しつける。守れないとひどく怒って罰するんだ。謎を解けないだけで殺されるなんて、馬鹿げた話さ」

 わたしに与えられた使命は女神様たちの気紛れにすぎないのだろうか。
 自分を遣わしたヘラ様も、謎を仕込んでくれた九人のミューザ様たちも、もうとっくに神の国には居ないのかも知れない。居たとして、私を遣わしたことも謎かけを命じたことも、忘れてしまっているのではないか。あるいはわたしの存在さえ…
 ならば、なぜ、私はここにこうしていなければならないのか。謎かけと殺戮をくりかえさねばならぬのか。
 
 スフィンクスは鷲の翼を拡げ、空へと舞い上がった。何年、何十年、何百年になるのか覚えていないが、このピーキオン山頂に来て以来初めて空を飛ぶ。風を受け大きく旋回しながら帆渉する。
 自分が長いあいだ座っていたビーキオン山のオベリスクのような岩が針のように小さく見える。テーバイの街も、草原も、おもちゃのようだ。オイディプスという名の若者と白馬、一人乗りの二輪戦車も見える。
 わたしは何処へ行こう。

「おれと一緒に旅をしねぇか」
 若者が叫んだ。
「ダメ。わたしはお前をいつか食い尽くすよ」
「食欲旺盛だねぇ」
「そうね」ほほほほほと、スフィンクスは笑った。生まれて初めて笑った。
 ははははは、とオイディプスも笑って応えた。
「おれはね、高慢ちきなアポロン神託をひっくり返してやろうと、テーバイへ行くのさ」
「そう、ミューザ様との知恵比べに勝ったあなたなら、アポロンのご神託にも勝てそうね」
 さよなら
 さよなら
  
 オイディプスはスフィンクスを退治した英雄として、テーバイの街に迎えられた。人々に請われ王となった。
 イオカステという美しい妻を娶り、ふたりの王子と二人の姫を設ける。荒廃したテーバイに平和と豊かさを蘇らせた、
 しかし、良い事は長く続かない。この後、さまざまな困難不運が彼と彼の街を襲う。それはオイディプスの人生全体が「アポロンの驕った神託」によってがんじがらめに規定されてしまっていたからだった。スフィンクスの謎を解いた聡明なオイディプスでさえ、アポロン神託には抗えなかった。
 妻と母を同時に失い、己の両目を突いて盲目となり、オイディプスは自らをテーバイから追放する。
「テーバイの全ての災厄と罪を私が負う。自分こそが穢れそのものである」と。
 街を救うため、自らを裁いて穢れを払ったのである。
 これにより、テーバイには平安が戻った。
 
 オイディプスが、己のあずかり知らぬところで恐ろしい罪を犯し穢れにまみれた王であることは間違いない。けれどまた、ひとりの人間として正義を貫こうとした偉大な精神の持ち主であり、テーバイを救った英雄であることも決して否定出来ない。
 
 この後、
 オイディプスは娘アンティゴネーに手を引かれ物乞いをしながら徘徊しアテナイ近くまでたどり着く。

 スフィンクスはその孤独なふたりを上空から見守っていた。悟られぬよう、そっと手助けしたりもした。害しようとする人や獣を追い払った。

 王を守護するのがスフィンクスの仕事、そうひとり決めして。